秋の夕暮れが商店街をオレンジ色に染め始める頃、ランドセル姿の小学2年生、タクミは、文具店前で母と待ち合わせしていた。

商店街には手描きのメニューが貼られた立て看板、ゆらりと風に揺れるのぼり、そして行き交う自転車。
文具店前の歩道には、店の宣伝用の立て看板が設置されていた。
歩道幅はそれほど広くはなく、タクミの身長では看板の上部が視界に入りにくい。
その瞬間だった。
タクミは右肩を看板の端に軽くぶつけ、体勢を崩した。
そして、ほんの一瞬、足元がぐらついたその時――
🚴♂️自転車が接近していた。
乗っていたのは近くの大学に通う男子学生。
夕食の買い出しに向かっていた彼は、イヤホンは付けていなかったが、やや急ぎ足でペダルを踏んでいた。

歩行者に気を配っていたつもりだった。
しかし、タクミが急に横に動いたことで、避けきれず、接触事故が発生。
タクミは地面に転倒し、左ひじに擦り傷、手のひらには小さな裂傷ができた。
母親は、事故当時の状況を写真とともに記録。
看板の設置位置は「安全な位置だったのか」
自転車の「走行方法に問題はなかったのか」
そしてタクミ自身が「どの程度の注意義務を負っていたか」
それらが裁判の争点となった。
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事案のポイント
- 小学2年生の男児が店舗前の看板に接触して転倒
- その直後に自転車と接触し、軽傷を負った
- 店舗側・自転車運転者・児童本人の過失が争点となった
判例(東京地裁 令和5年10月6日判決)

① 店舗側の責任(民法717条:工作物責任)
- 店舗が設置した看板が「危険な状態」だったかが争点
- 裁判所は「設置基準を満たしており、瑕疵はない」と判断 ➡️ 店舗側に過失なし
② 自転車運転者の責任(民法709条:不法行為)
- 自転車は歩道を走行していたが、児童の急な動きに対応できなかった
- 裁判所は「注意義務を果たしていた」としつつも、完全に回避できなかった点に一定の過失あり ➡️ 自転車側に40%の過失
③ 小学生本人の責任(民法709条+過失相殺)
- 小学2年生でも「事理弁識能力(注意義務を理解できる力)」があると判断
- 看板にぶつかって転倒した行動に「不注意」が認定された ➡️ 本人に60%の過失
こぱおの法律研究室 〜自転車事故と小学生の過失の巻〜

🧪こぱお博士:(眼鏡をくいっと持ち上げながら)
「ほむ。この東京地裁令和5年10月6日判決、なかなか興味深いなぁ。小学2年生でも過失が認定されたとは…」
🐾もふん補佐官:(眉をひそめながら)
「こぱお博士…子どもが看板にぶつかって転んだだけなのに、本人に60%の過失って…なんだかかわいそうもふぅ…」
🧪こぱお博士:「確かに、感情面では同情も湧く。しかし、法律は“予測可能性”と“注意義務”に基づいて判断するのだ。小学2年生でも事理弁識能力はあると見なされるからなぁ。」
🐾もふん補佐官:(しっぽをしゅんとさせながら)
「でも博士…転んだ瞬間に自転車が来るなんて、予測できる子なんているもふ?」
🧪こぱお博士:(にっこり微笑みながら)
「それこそが判例の示すところなのだよ。『周囲への注意を怠ったことで予測不能な動きになった』と裁判所は判断した。つまり“自分の不注意が事故を引き寄せた”という見方だよ。」
🐾もふん補佐官:(小さく首をかしげて)
「じゃあ、自転車のお兄さんも少しは悪いってこともふか…?」
🧪こぱお博士:「ほむ。過失割合は自転車側が40%。歩道を走る時点で注意義務は厳しくなるからなぁ。だが店舗側は、設置基準を守っていたゆえ責任を問われなかった。」
🐾もふん補佐官:(目を細めながら)
「法律って、感情じゃなく事実を積み上げて判断するもふね。でも…わたしとしては、タクミくんが泣きながら手を押さえてた姿を思い浮かべちゃって…ちょっと胸が苦しいもふ。」
🧪こぱお博士:(静かに頷きながら)
「それでよいのだ、もふん氏。法律の外に“社会の優しさ”があることを忘れてはならぬ。判例を学び、感情を添えることこそ、君の役割なのだよ。」
🧪こぱお博士の法的アドバイス
🍭アドバイス①:「子どもでも“注意義務”はゼロじゃない」
「小学2年生でも、法律の世界では“責任主体”になるのだ。
ただし、注意義務のレベルは“ランドセルの重さ”くらいに見積もるのが妥当だろうな。」
→ 民法709条では、事理弁識能力があれば不法行為責任が認められる。
年齢が低くても、状況によっては過失が認定される可能性がある。
🧊アドバイス②:「設置物の責任は“瑕疵”があるかどうかで決まる」
「看板が風に揺れていた? それだけでは“危険”とは言えぬ。
設置基準を満たしていれば、民法717条の“工作物責任”は発動せんのだ。」
→ 店舗側の責任は、設置物に“瑕疵”があるかどうかがポイント。
基準通りなら、事故が起きても責任を問われないことが多い。
🚴アドバイス③:「歩道を走る自転車は“忍者のような注意力”が必要」
「歩道を走るなら、歩行者の動きに“予知能力”を持つくらいの慎重さが求められるぞぃ。
イヤホンなしでも、スピードが出ていれば過失は逃れられん。」
→ 自転車の歩道走行は例外的に認められるが、歩行者への注意義務は極めて重い。
事故回避の努力が不十分だと、過失が認定される。
👇「コーヒー代=思考の燃料。もふんにはドーナツも頼むぞぃ」
コーヒー代 300円🐾もふん補佐官の見解
🧸「小学生にも過失がある」と言われたとき、わたしは少しだけ、胸が痛くなったもふ。
法律の世界では、年齢に応じた注意義務があることは、よく知られています。
でも、ランドセルを背負って歩く子どもが、風に揺れる看板にぶつかって転んだ瞬間――それを「不注意」と言い切るのは、少しだけ、冷たく感じました。
🧠裁判所の判断は、論理的で整っています。
- 店舗の看板は基準通りに設置されていた
- 自転車の運転者も、できる限りの注意を払っていた
- そして、小学生にも「周囲に注意する義務」があるとされた
それは、法律としては正しい。
でも、正しさと優しさは、いつも同じ場所にあるとは限らないのです。
🐾わたしが思うのは、「過失割合」という数字の裏にある、感情のこと。
タクミくんは、きっとびっくりして、痛くて、怖かった。
その気持ちは、判決文には書かれていません。
でも、わたしはそこにこそ、法教育の意味があると思うのです。
「どうしてこういう判断になったのか」
「自分ならどう行動すればよかったのか」
それを考えることが、未来の事故を防ぐ第一歩になるから。
「過失という言葉の裏には、“気づけなかったこと”と、“守りたかったもの”があると思うのです……もふん」
👇「法の隙間を埋めるのは、やさしさと粉砂糖……もふん」
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