「息を吹きかけてください」──堺市・冬の夜
堺市の国道310号線。
1月の夜風は冷たく、街路樹の枝がわずかに揺れていた。
午後10時過ぎ、検問の赤いライトが路肩に浮かぶ。
車の窓を開けると、アルコールの匂いはしない。
ただ、男の目はどこか遠くを見ていた。

「すみません、呼気検査にご協力いただけますか?」
警官の声は丁寧だった。
だが、男は答えなかった。
助手席には誰もいない。
ラジオも消えている。
沈黙だけが車内を満たしていた。
「息を吹きかけてください。すぐ終わりますから」
男はゆっくりと首を振った。

「拒否されるんですか?」
その瞬間、空気が変わった。
警官の手が無線に伸びる。
男は窓の外を見つめたまま、何も言わない。
彼の中で何かが揺れていた。
罪を認めることではない。
国家に「協力すること」への、静かな抵抗だった。
沈黙の理由──憲法38条という盾
男は連行された。
警察署の蛍光灯の下、無機質な椅子に座らされる。
警官が書類を差し出す。

「拒否の理由を記載してください」
男はペンを持ったまま、動かない。
彼の沈黙は、ただの反抗ではなかった。
それは、国家に対して「語ることを拒む」権利──憲法38条1項に根ざした、静かな主張だった。

「何も言わなくてもいい。だが、協力しないなら罪になる」
その言葉に、男は初めて口を開いた。
「協力とは、罪を認めることですか?」
警官は答えなかった。
部屋の空気が重くなる。
男は再び沈黙する。
彼の中には、ひとつの問いが渦巻いていた。
「国家が求める“協力”は、どこまで許されるのか?」
最高裁の判断──供述と検査の境界線

判例名:堺呼気検査拒否事件(最判平成9年1月30日)
事案の概要
1995年5月、大阪府堺市でトラックを運転していた男性Xが、警察官から道路交通法67条2項に基づく呼気検査を求められたが拒否。
その結果、道路交通法120条1項11号に基づき「呼気検査拒否罪」で起訴された。
Xは「呼気検査の強制は、憲法38条1項が保障する自己負罪拒否権に違反する」と主張し、最終的に最高裁まで争われた。
争点
呼気検査の拒否に対して刑罰を科すことが、憲法38条1項に違反するかどうか。
- 憲法38条1項:「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」
- 道路交通法67条2項:警察官は酒気帯びの疑いがある場合、呼気検査を求めることができる
- 道路交通法120条1項11号:呼気検査を拒否した者に対する罰則規定
判旨(最高裁の判断)

最高裁は以下のように判断しました👇
呼気検査は、供述を得るためのものではなく、酒気帯び運転の防止を目的として、運転者から呼気を採取しアルコール保有の程度を調査するものである。
よって、これを拒否した者を処罰する道路交通法の規定は、憲法38条1項に違反しない。
つまり、呼気検査は「供述」ではなく「身体的検査」であり、自己負罪拒否権の対象外とされたのです。
判例の意義と評価
1. 供述と身体的検査の区別
この判例は、「供述=言語的表現」「検査=物理的行為」と明確に区別しました。
これにより、身体的検査に対する憲法38条の適用範囲が限定されることになりました。
2. 刑事手続における人権の限界
国家が公共の安全(飲酒運転防止)を目的とする場合、一定の身体的介入は合憲とされるという判断は、刑事手続における人権保障の限界を示しています。
3. 今後の捜査手続への影響
この判例は、DNA採取や指紋押捺など、他の身体的検査にも波及する可能性があり、刑事訴訟法や憲法の解釈において重要な位置を占めます。
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地下二階法律研究室にて
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テーマ:呼気検査は“供述”か?──憲法38条の限界
【場面描写】
地下二階。蛍光灯が少しちらつく。壁には判例集が積み上がり、もふん補佐官はホワイトボードに「38条」とだけ書いている。
もふん氏、呼気検査を拒否しただけで罪になるなんて、これは国家の“呼吸管理”じゃないかね?
博士、それは言い過ぎです。
判例では“供述”と“身体的検査”は別物とされました。
息は言葉じゃない
でもね、息を吹きかけるという行為は、結果的に“飲んでました”と告白するようなものだよ。それって、自己負罪じゃないのかね?
憲法38条は“供述”の強要を禁じているだけです。
呼気検査は物理的な検査。言葉じゃない。
だから合憲です
(机に肘をついて)
ふむ……では、もし国家が“血液を差し出せ”と言ったら、それも供述じゃないからOKなのかね?
その場合は、身体の不可侵やプライバシーの問題が絡みます。
憲法13条や35条の領域です
つまり、国家が“言葉”を求めれば38条、“身体”を求めれば13条と35条……。
人間は、言葉と肉体の境界に立っているわけだ
博士、哲学モードに入らないでください。
読者が置いていかれます
いやいや、読者こそこの境界に立っているのだよ。
検問の夜、窓を開けるその瞬間にね
もふん補佐官の見解
(ホワイトボードに「供述 ≠ 呼気」と書きながら)
「博士、憲法38条は“言葉”を守る盾です。
でも、国家が求めるのは“息”──つまり、言葉にならない協力。
この判例は、供述と身体検査の境界を明確にしただけでなく、
私たちにこう問いかけているんです。
『沈黙する自由』は、どこまで守られるべきか?」
(少し間を置いて)
「呼気検査は合憲とされました。
でも、それを拒んだ男の沈黙には、法を超えた意味があった。
国家に協力することと、個人の尊厳を守ること──
その間にある“揺らぎ”こそが、憲法の生きている証です」
(ホワイトボードに最後の一行)
「法律は境界を定める。
でも、人間はその境界で、立ち止まることができる」
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