「分けることは、壊すことなのか」
名古屋郊外、霜の降りた庭に、兄・**圭吾(けいご)**は黙って立っていた。
その背後で、弟・**尚人(なおと)**が古い引き戸を開ける音がする。

「司法書士、今日来るんだよね」
尚人の声は、どこか急いでいた。
「……ああ」
圭吾は短く答えたが、目は庭の柿の木から離れなかった。
築47年の木造家屋。

父が亡くなってから、兄弟はこの家と土地を共有していた。
圭吾はこの家に住み続け、尚人は大阪で働いている。
だが、父の死から3年。
尚人はついに言った。
「売って、分けよう。俺の持分を現金にしてくれ」

「この家を壊すのか?」
「壊すんじゃない。分けるんだよ」
言葉の温度が違う。
兄は「壊す」と言い、弟は「分ける」と言う。
だが、どちらも正しいとは言えない。
この家には、二人の記憶が詰まっている。
そして、記憶は分けられない。
尚人はポケットから手帳を取り出した。司法書士の名刺が挟まっている。

「法的には、共有物って分けられるんだよ。話し合いがまとまらなくても」
「……それが合理的ってことか?」
圭吾の声は、少しだけ揺れていた。
尚人は頷いた。
圭吾は黙った。

その沈黙の中に、父の笑い声も、母の炊事の音も、二人の喧嘩も、全部があった。
だが、法は記憶を裁かない。
法は、権利を分ける。
そして、彼らはまだ知らなかった。
平成4年のある最高裁判決が、まさにこの状況に答えを出していたことを──。
「法は、記憶を分けない──平成4年最高裁の答え」
司法書士・三宅がやってきたのは、午後2時。
尚人はリビングのテーブルに判例のコピーを広げていた。
圭吾は湯呑みを手に、静かに座っている。

「これが、平成4年1月24日の最高裁判決です」
三宅は言った。
「共有物の分割について、裁判所が競売による分割を命じることができると判断したものです」

尚人が目を通す。
判決文にはこうある。
“共有者間に合意がなくても、裁判所は競売による分割を命じることができる”
(平成4年1月24日・最高裁第二小法廷)
「つまり、兄さんが反対しても、裁判所が“分ける”ことを決められるってことだよ」
尚人の声は冷静だったが、どこか痛みを含んでいた。
圭吾は湯呑みを置いた。
「それは、合理的かもしれない。でも、俺にはこの家が“物”じゃないんだ」
「俺だってそうだよ。でも、現実は動いてる。子どもも生まれるし、資金がいる」
「……そうか」
三宅が補足する。
「民法258条では、共有物の分割請求権は共有者に認められています。
そして、物理的な分割が困難な場合、裁判所は競売による分割を選択します」
尚人は判例のコピーを折りたたみ、圭吾に差し出した。
「これは、法の言葉。でも、兄さんがどう感じるかも、俺は聞きたい」
圭吾はそれを受け取り、しばらく黙っていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「分けることは、壊すことじゃない。
でも、壊れたくないものもある。
それを守る方法が、法の外にあるなら……俺は探したい」
尚人は頷いた。
その瞬間、判例はただの紙ではなく、兄弟の選択肢になった。
「分ける、ではなく、譲る──代償分割という選択」
夕方、障子越しに差し込む光が、リビングを淡く染めていた。
三宅は、湯呑みに残った緑茶を見ながら言った。

「圭吾さん、代償分割という方法もありますよ」
「代償……?」
圭吾が眉をひそめる。
尚人が説明を引き取る。
「つまり、兄さんがこの家と土地を全部引き取って、俺にはその分の金銭を支払う。
物理的には分けないけど、価値は分けるってこと」
三宅が頷く。
「民法258条の分割方法には、現物分割、代償分割、競売分割があります。
代償分割は、感情的な摩擦を減らす方法として選ばれることも多いです」
圭吾は黙って、庭の柿の木を見た。
父がよく剪定していた木だ。
その枝の先に、まだ残る実が揺れている。

「……それなら、壊さずに済むかもしれないな」
「俺も、兄さんがこの家を守ってくれるなら、それでいい」
尚人の声は、少しだけ柔らかくなっていた。
三宅が書類を取り出す。
「代償分割には、評価額の算定と、支払い能力の確認が必要です。
でも、お二人が合意できれば、訴訟にはなりません」
圭吾は尚人の顔を見た。
尚人も、静かに頷いた。

その瞬間、判例は“争いの道具”ではなく、“和解の地図”になった。
🗳️読者参加セクション:「あなたならどう分ける?」
あなたが圭吾や尚人の立場だったら、どの方法を選びますか?
選択肢 | 内容 | 感情的メリット | 法的ポイント |
---|---|---|---|
A. 現物分割 | 土地を物理的に分ける | それぞれの所有感が強い | 境界確定が必要、費用増 |
B. 代償分割 | 一方が取得し、他方に金銭支払い | 家を守れる、関係が保てる | 評価額の算定が重要 |
C. 競売分割 | 第三者に売却し、代金を分ける | 感情的整理がしやすい | 裁判所の判断が必要 |
📩コメント欄で、是非あなたの選択と理由を教えてください。
「家族の記憶」と「法の合理性」、あなたならどう折り合いをつけますか?
「家を守るということ──圭吾の夜」
夜――。
尚人が帰ったあと、圭吾は一人、縁側に座っていた。

冬の空気は冷たいが、星がよく見える夜だった。
庭の柿の木は、風に揺れている。
父が剪定していた枝。
母が干し柿を吊るしていた軒。
尚人とキャッチボールをした庭の隅。
圭吾は、静かに呟いた。
「分けることは、壊すことじゃない。
でも、守ることは、受け継ぐことでもあるんだな」
代償分割。
尚人に金銭を支払い、自分が家と土地を引き取る。
それは、法的には“合理的”な選択。
だが、圭吾にとっては、“記憶の継承”だった。
彼は、司法書士から渡された書類を見つめる。
評価額、支払い計画、登記変更。
数字の羅列の向こうに、家族の時間が見える。

「この家を壊さないために、俺は借金してもいい。
それが、兄としての責任なら──いや、俺自身の選択だ」
圭吾は立ち上がり、障子を閉めた。

その音が、静かな決意のように響いた。
「譲るということ──尚人の夜」
尚人は名古屋駅からの新幹線に乗り、大阪へ戻る途中だった。
車窓に映る街の灯が、少しずつ遠ざかっていく。

ポケットには、司法書士から渡された代償分割の合意書案。
そして、兄・圭吾が手渡してくれた一枚の写真──
庭で二人がキャッチボールをしている、昭和の色褪せた一枚。

尚人は目を閉じた。
「譲るって、簡単じゃないな……」
この家には、彼の“子ども時代”が詰まっていた。
父の怒鳴り声も、母の笑い声も、兄との喧嘩も。
それを手放すことは、過去を切り離すような感覚だった。
だが、兄の言葉が胸に残っている。
「守ることは、受け継ぐことでもあるんだな」
尚人は、兄の背中を思い出す。
庭に立ち、柿の木を見つめていたあの姿。
あれは、ただの“所有者”ではなかった。
“記憶の管理人”だった。
「兄さんなら、守ってくれる。
この家を、俺の分まで」
尚人は、スマホを取り出してメッセージを打った。

圭吾へ
代償分割、進めてくれていいよ。
俺の分、ちゃんと受け取るけど──
それ以上に、兄さんがこの家を守ってくれることが、俺には大事だ。
送信。
新幹線は、静かに加速していく。
尚人の胸の中には、少しだけ温かい風が吹いていた。
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