冬の午後、奈良県郊外に佇む小さな内科診療所の受付に、時計の音だけが響いていた。
村瀬明子(42)は、パソコンの前で患者の保険証を処理しながら、背後にある院長室に耳を澄ませていた。
「…法人化の件、決裁は来週で。」
俊介の声は低く、電話の向こうにだけ開かれているようだった。夫、蓮見俊介(46)は10年前に個人開業したこの診療所を、医療法人に移行しようとしていた。
法人化には税制優遇があることも、後継の問題も、明子は理解していた。けれど、最近彼は明子には話さなくなった。
「法人の理事は俺と母さんの名義にした。お前は手続きに関わらなくていいから。」
それが全てだった。
その夜、蓮見はいつもより早く食事を終え、洗い物もせずに書斎へ向かった。ドアの向こうからは、法人定款を読む紙の音だけが聞こえた。
結婚当初から、診療所の運営は“共同作業”だった。
明子は看護師の資格こそ持たなかったが、受付、帳簿、薬品在庫の管理まで一手に引き受けた。職員が欠勤すれば掃除まで担当した。俊介は診察に集中できる環境を保てたのは、明子のおかげだった。
「これ、去年の決算ね。診療報酬の集計済んでるわ。」
淡々とした声で帳簿を渡すと、俊介は「ありがとう」と言ったが、目はパソコンから離れなかった。
法人化後、診療所は「蓮見メディカルセンター」と名称が変わった。職員も増えたが、明子は月末の集計から外され、給与も“職員”として最低水準になった。
やがて明子は、職場では“院長夫人”と呼ばれるだけの存在になった。
その頃から俊介の帰宅は夜10時を過ぎ、夕食の手つきは無言になった。冷蔵庫の中には、彼が買った輸入ワインが増えていた。
「俺、今後は学会活動も増える。夜は実家に戻ることにした。」
ある晩、蓮見はそう告げると、あらかじめ荷物をまとめてあった鞄を持ち、家を出ていった。別居の始まりだった。
それから2年。
連絡は診療所関連の事務連絡に限られ、生活費の振込も減った。法人名義の資産は増えていったが、家庭は縮小していた。
明子は意を決して、離婚調停の申し立てを行う。弁護士の助言で、財産分与のために法人関係の書類一式の提出を求める。
蓮見の返答は明快だった。
「法人資産は業務上のものであり、家庭には関係ない。財産分与の対象外だ。」
資料の提出は拒否され、法人の純資産や出資持分の詳細は霧の中に残されたままだった。
調停委員会の机を前に座る明子は、ゆっくりと手元のメモを開く。「婚姻期間中の貢献」その言葉だけが、今の彼女の支えだった。
夫(医師)側の主張
主張内容 | 詳細 |
---|---|
💼 財産の性質 | 医療法人の資産は業務上の公益性が高く、個人財産とは性質が異なるため、分与対象にならない。 |
📄 開示拒否 | 財務資料には患者情報が含まれており、プライバシー保護の観点から提出できない。 |
🧠 寄与度 | 医師という専門資格による診療報酬の獲得は個人能力に基づくもので、妻の貢献は限定的。 |
📝 財産形成時期 | 主な資産は法人設立後に形成されたものであり、婚姻中の共有財産ではない。 |
妻(事務担当)側の主張
主張内容 | 詳細 |
---|---|
🏥 共同経営 | 法人設立前の診療所運営には受付・経理・清掃等で継続的に協力しており、実質的な財産形成に貢献。 |
📄 開示要求 | 財産分与に必要な範囲であれば、法人資産情報は個人情報を除外して開示可能。 |
📊 寄与度 | 婚姻中に築いた診療所の収益管理や業務支援は無視できない貢献度であり、50%に近い寄与がある。 |
⏳ 財産形成時期 | 法人化によって形式が変わっただけで、実質的には婚姻期間中に形成された資産と見なせる。 |
判例
原告(妻)による離婚及び財産分与請求に対し、被告(夫)は、医療法人の資産は業務上のものであり、婚姻中の共有財産とは言えないと主張した。
しかしながら、診療所開設から医療法人化に至るまでの間、原告は経理業務・清掃・患者対応等に継続的に協力していたこと、診療所の収益が法人設立の基盤となったことから、本件資産の形成には原告の寄与が認められる。
医療法人の純資産額は1億9645万円と認定され、これに評価係数0.7を乗じて1億3751万5千円を出資持分の価値とした。
本件における寄与割合は、被告60%、原告40%と認定。
よって、原告には上記出資持分額の40%に相当する1億1500万円余りの財産分与を命じる。
- 医療法人の資産も、婚姻期間中に形成されたなら分与対象になる
- 配偶者の業務協力が実質的寄与と認められる
- 資産評価には「純資産×係数」で算定し、寄与割合を掛ける
妻が受け取る額:約1億3,751万円 \times 0.4 = 約5,500万円超
※なお、裁判所は法人以外の資産(預金など)も加味し、妻には最終的に約1億1,640万円の分与が認められました
こぱおの法律研究室
🐾もふん補佐官「博士、この医師夫婦の判例、読めば読むほど“財産隠し”のにおいがするもふ。」
🧪こぱお博士「ふむ…。医療法人の持分評価に係数0.7を使っているな。つまり純資産が1億9645万円なら、評価額は約1億3751万円になる。」
🐾もふん補佐官「問題は、奥様の寄与が40%と認められたこともふ。経理や診療所の手伝いだけじゃなく、法人設立前の運営にも関与してましたから。」
🧪こぱお博士「その点、裁判所は『形式ではなく実質』を重視した。法人名義でも実質は夫婦共有財産だと認定した。私が学生ならここ、蛍光ペン3色重ねますな。」
🐾もふん補佐官「博士…。それ、判例が透けて見えなくなるもふ。」
🧪こぱお博士(にやり)「法律とは、可視化できない“心の価値”を数値化する営みでもあるのだよ、もふん氏。」
🐾もふん補佐官(そっとメモをとりながら)「それ…なんか今夜の研究室の掲示板に貼っておくもふ。」
こぱおの博士の法的アドバイス
⚖️法的チェックポイント①
💬「医療法人の資産は業務用だから分与対象外?」
➡いいえ。婚姻中に診療所として形成された資産が、法人化によって名前を変えただけなら、分与対象になります。裁判所は資産の“成り立ち”に注目します。
⚖️法的チェックポイント②
📊「医師の資格で稼いだんだから妻の貢献はゼロ?」
➡こちらもノー。診療所運営は受付・経理・掃除など、多くの支えがあって成立します。継続的な業務協力は寄与率に反映されるのです。
⚖️法的チェックポイント③
🔍「法人資産は開示できないと拒まれた場合は?」
➡文書提出命令に従わないと、裁判上不利になります。公益性があるとはいえ、プライバシー部分を除いた資料の開示は可能です。
こぱお博士(締めくくり)
「法は人間関係の“沈黙”に光を当てる装置でもあります。もしあなたが診療所の片隅で記録をつけていたなら、それは法において“貢献”と呼ばれるのです。忘れないでくだされ~。」
👇「条文と向き合うには、カフェインと誠意が要るのだぁ。」
コーヒー代 300円🐾もふん補佐官の見解
「博士の言う通りもふ。医療法人の資産だって、診療所の頃から夫婦で築いてきたものでしょう?
それを“法人だから関係ない”なんて言い張るのは、帳簿よりも心の計算がズレてる気がするもふ。」
「資産評価に係数をかけるのも大事ですけど、もっと見てほしいのは奥様の暮らしの係数もふ。
朝ごはんの支度、掃除機の音、薬品の管理表…全部が財産の土台だったはずもふ。」
「そして開示拒否。それ、つまり見られたくない帳簿があるってことでしょう?
だったら、“見られたくない理由”そのものが分与のヒントになるはずもふ。」
「法廷では形式が重んじられますけど、人間関係では気配とか気持ちが証拠になることもあるもふ。
その気配を数値にしてくれるのが、法律もふ。」
🐾もふんポイントまとめ
- 法人化したからといって、財産まで「無関係」にはできない
- 寄与の本質は「職業」より「生活と協力」の中に宿る
- 開示拒否は“隠してるという意思”の証拠になるかも?
- 法は冷たく見えて、じつは“生活の痕跡”に寄り添ってくれる
👇「博士がコーヒーだけで乗り切ろうとするたび、私はチョコドーナツで“感情の判例”を守るもふ。」🍩
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