「衆議院解散は誰の手に?苫米地事件が残した問い」

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1953年、秋。

衆議院の議場は騒然としていた。吉田首相による“抜き打ち解散”。

議員たちが呆然と席を立つなか、一人の男は静かに拳を握りしめていた。

苫米地義三。

青森三区から選ばれた、無所属の気骨ある政治家。その目は、首相よりも、憲法を見据えていた。

苫米地は言った。

「この解散は憲法違反だ。69条にも、7条にも、該当しない」


周囲は笑った。

「議員一人が内閣に歯向かうのか?」


彼は歳費請求訴訟という一見地味な手段で、解散そのものの違憲性を問い直す。舞台は、司法の頂点──最高裁へ。

法廷に響いた一言。

統治行為論」。


裁判所は言った。

これは“高度に政治性のある国家行為”であり、司法は審査しない。


苫米地は法廷を出て、空を見上げた。敗れた。しかし、その問いは残った。「裁判所が審査しないなら、誰が憲法を守る?」

判決が示したのは、司法の限界と政治の暴走リスクだった。
学者は論じる。「7条説か、69条説か?」「解散は無制限か、制限可能か?」


彼の挑戦は判例となり、教科書に載り、未来の法律家に語り継がれていく。

事件の背景

1952年8月、吉田茂内閣は衆議院を「抜き打ち解散」。

これにより議員資格を失った苫米地義三氏が、「憲法69条に基づかない解散は違憲」として歳費請求訴訟を起こした。

争点

  • 衆議院解散の効力は、裁判所が審査できるのか?
  • 憲法7条 vs 69条の解釈
  • 裁判所の司法権の限界とは?

最高裁の判断(最大判昭35.6.8)

  • 衆議院解散は「高度に政治性のある国家行為」であり、裁判所の審査権の外にあると判断
  • 憲法7条に基づく解散は、内閣の助言と承認があれば適法とされた。
  • 裁判所は違憲・合憲の判断を回避し、政治部門と国民の判断に委ねるべきとした。

判例の意義

  • 統治行為論を真正面から採用した初の判例
  • 司法権の「内在的制約」論を提示し、三権分立のバランスを強調。
  • 以降、裁判所は政治的判断に対して慎重な姿勢を取るようになる。

こぱおの法律研究室

🧪こぱお博士
「もふん氏、最近の“衆議院解散”のニュース、どう思った?」

🐾もふん補佐官
「正直に言うと、びっくりもふ。なんで総理がいきなり解散できるの?って思いました。」

🧪こぱお博士:
「ほむ、実はそれに答えるカギが、昭和35年の判例『苫米地事件』にあるのだよ。ここではね、“統治行為論”っていう考え方が使われたんだ。」

🐾もふん補佐官:
「…“とうちこういろん”?なんだか強そう……でもちょっとこわい響きもふ。」

🧪こぱお博士:
「簡単に言えば『政治的すぎる事案は、裁判所が口を出せない』という考え方だよ。裁判所が“この解散は違憲かどうか”について判断を避けたんだ。」

🐾もふん補佐官:
「えっ、それって“誰もチェックしない”ってこともふ?憲法って、そういう穴あるんですか?」

🧪こぱお博士:
「そこがまさに議論のポイント!苫米地義三という議員が、“違憲な解散で議席を失った”として訴えたが、最高裁は『解散は政治的すぎるから審査しない』と答えた。その姿勢が、その後の判例にも影響を与えているのだよ。」

🐾もふん補佐官:「でも博士、政治的だからこそ、憲法が守られないと困るんじゃ……?もふん」

🧪こぱお博士:
「いいツッコミだ!実は統治行為論には批判も多い。“裁判所が逃げてる”という人もいる。だが一方で、“三権分立を守るための自制”と評価する向きもある。法律って、白黒じゃなく、グレーゾーンの中に哲学があるんだ。」

🐾もふん補佐官:
「グレーな判例も、ちゃんと知ることが“法律を守る力”になるってことですね…!こぱお研究室、今日も深かったもふ!」

🧪こぱお博士:
「ほむ。次回は“69条説”と“7条説”、憲法学者たちの解散論争を紐解いていこうじゃないか。」

こぱお博士の見解

🧪こぱお博士:
「苫米地事件は、ワイにとって“司法の沈黙”が最も雄弁だった判例だ。
裁判所は『政治的すぎるから審査しない』とした。つまり、憲法の番人が“門前払い”したわけやな。」

「でもな、ワイはこう思うんや。
憲法は、政治の暴走を止めるためにある。
その憲法を守るべき裁判所が、“政治的だからノータッチ”って言うたら、誰がブレーキになるんだ?」

🐾もふん補佐官(小声で):
「博士、それ、憲法学者も同じこと言ってますもふ…」

🧪こぱお博士:
「せやろ? でもな、苫米地さんは“歳費請求”という地味な手段で、憲法の穴を突いた。
ワイはそこに、法の美学を見たんだ。
派手な違憲訴訟じゃなく、議員としての“責任”と“誇り”をかけた静かな抵抗だ。」

「判決文には“統治行為論”という言葉は出てこない。
でもその本質は、“司法は政治に踏み込まない”という哲学だ。
それは一種の“自制”やけど、ワイはこう問いたい。
自制と逃避は、紙一重ちゃうか?

🐾もふん補佐官:
「博士…今日、ちょっとカッコいいですもふ…」

🧪こぱお博士:
「ふふん。ワイはいつでもカッコいいぞぃ。
ただし、白衣にイチゴシロップがついてないとき限定やけどな!」

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もふん補佐官の見解

🐾もふん補佐官:
「苫米地事件って、最初は“むずかしい判例”って思ったもふ。でも読めば読むほど、“憲法って誰のためにあるの?”って問いが浮かんできたもふ。」

「裁判所は『政治的すぎるから判断しない』って言ったけど、それってちょっと寂しくないもふ?
だって、議員さんが“憲法違反かも”って訴えたのに、誰も答えてくれないなんて…。」

「でも博士が言ってたように、裁判所が全部決めちゃうと、三権分立が崩れちゃうもふ。
だから、“司法の自制”っていう考え方も、わかる気がするもふ。

「もふん的には、苫米地さんの行動がすごく尊いと思うもふ。
歳費請求っていう地味な方法で、憲法の穴を静かに突いた。
それって、“声なき声”を届けようとした勇気だと思うもふ。」

「この事件は、“裁判所が沈黙した”っていうより、“国民が考える番だよ”って言われた気がするもふ。
だから、もふんはこう思うもふ。
憲法は、読まれるだけじゃなく、感じられるもの。
そして、判例はその“感じ方”を教えてくれる、ちいさな灯もふ。」

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