「雇用関係なしでも責任を問われる?運行供用者の法的境界線」

交通事故

朝8時。現場に向かうトラックの振動が、眠気まじりの思考を揺らす。

運転しているのはAさん――自社の社員ではない、協力業者の職人だ。



現場は急ぎ。

車両は建設会社の所有物。

資材も、その会社の物。

Aさんは“使っていい”と言われたから使っている。

でもその日、事故は起きた。

トラックはガードレールに衝突し、大きく損傷。



誰が責任を負うのか――それが争点となった。


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『小学2年生に60%の過失!?自転車事故判例から読み解く法の温度』


第1章:運行供用者とは何か――運転しなくても責任を負う人

事故が起きたとき、責任を問われるのは「運転していた人」だけだと思っていませんか?

実は、日本の法律では 自動車損害賠償保障法 によって、「運転していない人」でも賠償責任を負う場合があります。

これが 運行供用者 という概念です。

🚧 運行供用者の定義

「自己のために自動車を運行の用に供する者」

つまり、その車両によって利益を得ている人や、事実上の管理・使用権限を持っている人を指します。

必ずしも「車検証上の名義人」である必要はありません。

⚖️ 判例にみる判断基準

以下のような要素から「運行供用者」と認定されるケースがあります👇

判断要素解説
車両の所有者か名義や実質的な所有の有無が判断材料に
運転の指示を出していたか実質的に命令・管理していたか
利益を得ていたか業務利益・経済的利得があるかどうか
保険・整備などの管理権があるか車両維持の責任を負っていたか

第2章:判例が語る「責任の境界」——なぜ車両所有者に賠償責任?

物語の続きとして——事故後、建設会社の担当者は「運転したのはうちの社員じゃない」と言い切った。

実際、運転者は業務委託先の職人で、雇用契約は存在しない。

だが、裁判所は「それだけでは免責にはならない」と判断した。

⚖️ 裁判所の論理

この判例で東京高裁はこう考えました👇

  • 車両・資材の提供者は実質的な管理者であり、運行供用者とみなせる
  • 使用関係がなくても、事故によって生じた損害については**「公平に分担すべき」**との信義則が働く
  • ただし、実質的な指揮命令関係は希薄なので、責任は限定的(10%)

つまり、「使わせたけど雇ってはいない」という構図は、完全な免責にはならず、使用・利益の供与と管理実態があれば“責任の一端”は生じるという判断です。

第3章:誰もが“運行供用者”になる可能性——あなたの会社でも?

の判例が示すのは、形式的な契約以上に、実質的な関係性が問われるということです。

以下のような状況では注意が必要です👇

典型ケースなぜ危険か
業務委託先に社有車を貸す使用管理実態があれば責任が発生する可能性
フリーランスに配送用バンを貸与配送指示や資材提供で運行供用者認定も
協力会社の職人に重機を使わせる利益供与+安全管理義務から責任が派生することも

終章:責任の境界線の向こう側——あなたの現場でも起こりうること

「うちの社員じゃないですから」

担当者のそのひとことが、裁判所の前では通用しないこともある。

建設業界、運送業界、フリーランスを多用する現場では、「誰が運転したか」よりも「誰がその運転の利益を得たか」「誰がその車両を管理していたか」が問われる時代なのかもしれない。

この判例は単に法的な責任の範囲を示しただけではありません。契約の形式を超えて、実態を見る視点が強調されたのです。そしてその判断には、「損害の公平な分担」という、法と倫理の間にある言葉が添えられていました。

では、読者のあなたに問いかけたい。
あなたの会社や現場で、誰かに車両を使わせたことはありませんか?
その使い方、ほんとうに“責任がない”と言い切れるでしょうか?

こぱおの法律研究室

<strong>こぱお博士</strong>
こぱお博士

もふん氏、今日の判例はちょっと不思議なんだよねぇ。
運転してない人にまで責任が生じたんだよ。

<strong>もふん補佐官</strong>
もふん補佐官

え?運転してないのに?事故起こしたのは協力業者の職人さんでしょ。
なんで車両所有者が責任とるもふ?

<strong>こぱお博士</strong>
こぱお博士

それがね、『運行供用者』っていう概念があって…。
つまり、車を“運行することで利益を得ている人”が責任を負う可能性があるのだよ。

<strong>もふん補佐官</strong>
もふん補佐官

あー、じゃあ『うちの社員じゃないです!』って言ってもダメな場合があるもふね。
こわいもふ…。

<strong>こぱお博士</strong>
こぱお博士

この判例では、雇用関係はなかったけど、車両も資材も全部所有者から提供されてたから、信義則上10%の責任が認められたんだよ。損害の“公平な分担”ってやつだな。

<strong>もふん補佐官</strong>
もふん補佐官

それって、責任が限定的でも“ゼロじゃない”ってこともふね。
たった10%でも346万円の損害額なら…うわっ、約34万円もふか。

<strong>こぱお博士</strong>
こぱお博士

そう。
しかもこの事例では、保険の免責や委託料未払い分との相殺があって最終的には請求棄却なんだけど、法的には責任があるって認定されたのがポイントなんだ。

<strong>もふん補佐官</strong>
もふん補佐官

なるほど…。
企業としては“契約だけじゃ守れない責任”もあるってこともふね。じゃあ博士、現場で注意すべきポイントって?

<strong>こぱお博士</strong>
こぱお博士

車両の貸与をするときは、使用の範囲・管理の実態・利益の供与――この3点に気をつけることだね。契約書の明文化も重要だよ。

<strong>もふん補佐官</strong>
もふん補佐官

今日も法律の境界線がちょっとだけ見えてきたもふ。
事故は、誰が運転したかだけじゃ終わらない…もふん!

🧪こぱお博士の見解:契約だけでは守りきれない「現場の責任」とは?

「契約というのはね、ルールブックであって盾ではないんだよ。
法的には『自分の責任範囲を限定したつもり』でも、実務的には“関与の実態”が問われる。ここが、法律のややこしくて面白いところなんだよ、もふん氏。」

たとえば、業務委託先の作業中に事故が発生した場合、
うちは雇用してないので責任ありません」と言いたくなるかもしれないけれど――

・誰が車両や機材を提供していたか?
・指示やスケジュール調整はどちらがしていたか?
・利益の還元は誰が受けていたか?

こうした“実態に基づく関与”が認定されると、契約上の立場を超えて「運行供用者」としての責任が問われることがあるんだよ。

これは信義則や民法709条の「不法行為責任」とも結びついてくる。

だからこそ、契約時には文言だけで安心せず、実態との整合性を常に意識することが重要なんだ。

現場が動くたび、契約の意味も変化する――それが、法務の奥深さなんだよ。

🐰もふん補佐官の見解:契約と現場の“すきま”に潜む責任

「契約書って、たしかに大事なんですけど――現場って、その通りに動いてくれるとは限らないんですよね、博士。」

こぱお博士が言うように、“契約書=責任免除”ではない。

むしろ契約外の動きこそがトラブルの火種になりがちもふ。

  • 「ついでにこれもお願い」→ 指示の境界が曖昧に
  • 「自由に使っていいですよ」→ 管理責任がぼやける
  • 「口頭で済ませちゃった」→ 記録がないから言った言わない問題に

契約の文言ではカバーしてるつもりでも、現場では“信頼関係”や“慣習”で動いてしまうことが多いもふ。

でも、裁判ではその「曖昧なすきま」が、責任を生む根拠になるんです。

だから私は、現場でのやりとりも“契約の一部”と考えています。

契約書を締結したら終わりじゃなくて、運用し続けることが本当の予防法務

そしてもう一つ――説明しないリスクは、説明したリスクよりもずっと大きい

あとで「そんな話聞いてない!」って言われる方が、ずっと面倒なんですから。


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